舞台「鶫」を観に行きました

2020年4月13日

まずは有村藍里さん可愛い。

さて、具体的な内容に触れていくと簡単に言えばホームドラマで、特に事前に内容等を調べずニュートラルな状態で観劇に行きましたが楽しめました。現代語劇ならではですね。
現代語の現代のホームドラマ故に一切の事前情報無くとも楽しめる反面、脚本のダイナミクス、演じる各役者のリズムが重要になるなあと思いました。大きな場面転換はなく基本「ホーム」内、前舞台を外の道路に見立てる演出で、音響含め舞台装置としての大きな演出もなく、その点の派手さはないですがその分、抽象と具体という部分において大変面白いなあと思いました。

そして有村藍里さん可愛い。

抽象と具体についてというか、身体が一切舞台に立たない人物、声のみのキャストですね。その声の演出がまた良かった。ホールの音響設備から出すのではなく、今やローテクのラジカセ。カセットテープだから逆に良い。声+環境音。
そしてスピリチュアルではあるのですが所謂“見える”キャストが2人いて、客席上空に“居る”ことを意識させる。テーマとしてほぼ誰もが体験するorしたことがあるであろうものを殊更派手にすることもなくてもこういうことで違う次元で大きく舞台を動かせるのだなあと思いました。

うーむ有村藍里さん可愛い。

声のみ出演の役は誰もが知ってる概念の役柄であるのですが、それ故に観客一人一人が脳裏にそれぞれのイメージで思い描いたのではないでしょうか。コレすごい面白いなぁと思いました。
自分は基本的に音楽家なのでちょっと音のお話に寄りますが、音は目に見えないしその瞬間にその場にいた人にしか認知できないものです。それ故に形而上の存在を感じさせるにおいて相性が良いものとなります。「形而上」という小難しい言葉を使ってしまいましたが、俗に言えば神さま、そして宗教ですね。あえて抽象ではなく形而上という言い方をしましたが、抽象は元々存在するものを抽象化する、形而上は元々の物理的な存在がないものという認識で方向性の違うものとして区別したく、小難しい言葉をそういう用法でとりあえず使ってみました。

それにしても有村藍里さん可愛い

まあともかく、「はじめに言葉ありき」という記述のように神は音声を使って預言者を通じておぼろげながら顕在化するものですね。そして今と違い録音再生媒体のない時代において音楽は強く神、宗教と結びつきやすかった。今当たり前にある音楽の体系を遡るとキリスト教に辿り着くわけです。
この話は今回の本題ではないので置いといて、鶫において形而上ではないものの実態のない抽象化された存在の表現として音声のみの出演を巧みに活用されたなあと思いました。かつて具体していた存在を抽象表現として感じさせる。誰もが概念として知っているものの抽象故に観客側の脳裏にインタラクティブに作用する。科学的な意味での幽霊が存在するかとは別に、その場にいる人に確かに存在しているもののように感じられたのではないでしょうか。

最後にやっぱり有村藍里さん可愛い。

事前情報として有村藍里さんは有村架純さんの姉で、整形をしたことを表明したというニュースくらいしか知らないわけですが(不勉強で申し訳ないです)、役柄としてのティーンエイジャーらしい可憐さ、未熟さ、淡さ、脆さを感じました。有村藍里さんの初主演ということでしたが、主演らしく劇が始まってから初めに舞台に出る時は空気を変える役割でしたね。可愛い可愛いなどとミーハーに書き連ねましたが、観劇後に実年齢など知りまして、色々と苦労もされて今があるのだなと思いました。

しかし普段は音楽のコンサートに足を運ぶことが多いのですが、普段と違うジャンルの舞台に行くのも面白いですね。