「箏」と「琴」についてのややこしいお話

2020年9月26日

今までに何度かブログでも書いたりもしてますが、都度主張していきたい内容でもあったりします。

「箏」と「琴」について。

こちら、音読みでは箏は「ソウ」、琴は「キン」と読みます。そして訓読みではどちらも同じく「こと」と読みます。

まずは自分は大学の「箏曲部」で箏を初めて触りました。此処はけっこう大事な部分なのですが、「箏曲」が何か知らなかったし、たまたま「箏曲部」のサークル勧誘の教室でアフロの髪型で三味線を弾いてる人がいて、それがきっかけで箏を触り、そして今に至ります。

アフロの三味線が気になるところですがそれは残念ながら横に置いておき、その時まで「箏曲」及び「箏」という漢字を知らなかったし、「琴」だと思っていたわけです。

ここからがややこしいお話になってきます。言葉は使っていると意味がどんどん変わるものでもあり、変化して然るべきでもあるのですが、現在は一般的には「琴」も「箏」を指す言葉として十分通用します。

じゃあ「琴」でいいじゃん!

と突っ込まれてしまいそうですが、そういうわけにはいきません。「箏」が歩んできた歴史があり、字が統一されることで一層遠いものになってしまう可能性があるのです。

「箏」という字が認知されないと、楽器を始めるきっかけとして重要である中高大学の「箏曲部」に「こと(注1)」に興味があってもアクセスしない可能性が出てくるわけですね。

もちろんそれだけでなく、「箏曲」という単語から「こと(注1)の演奏」を連想しないということにもなります。ざっくりと八橋検校から始まった近代箏曲の歴史、生田流が生まれ山田流が生まれ…「こと(注1)」の歴史へ興味があっても「箏」という字を知らないと調べるときに苦労してしまうかもしれません。また、昔の文章を読むときに意味を正しく理解できない可能性も出てきます。

(※注1のことは箏を指してます!ややこしい!)

そのような事も踏まえて自分は自分の文責が求められるところに関しては基本的に「箏」の文字を使うようにお願いもしております。ありがたいことに日テレで放送されました日曜のゴールデンタイムのバラエティ番組である「世界の果てまでイッテQ!」でもきちんと「箏」の文字を使っていただきました。丁寧な確認をしていただきましてありがとうございます。

さて、そうすると「琴」がこんなに広まってるのはどうしてなの?という疑問が出てきます。そもそも自分も「琴」だと思ってた。更に言えば「琴」でも通じるとも先述している。

その疑問を少しでも解決すべく箏と琴の歴史を紐解いていきましょう。

まずは「箏」と「琴」は別々の楽器をそれぞれ指していた文字でした。そして、「こと」という言葉自体は今でいうところの「弦楽器」という意味で使われておりました。

源氏物語の第二十一帖「少女」にはこのような文があります。

「楽所遠くておぼつかなければ、御前に御琴ども召す。兵部卿宮、琵琶。内大臣、和琴。箏の御琴、院の御前に参りて、 琴は、例の太政大臣に賜はりたまふ」

ややこしい文となってますね。「琴」が「きん」の意味と「御琴(おこと)」と読んで「弦楽器」の意味とで使われています。さらに「和琴」というものもあります。この文において琵琶、和琴、箏、琴の4つの楽器があることがわかります。

遣隋使、遣唐使という当時の中国の王朝から先進文化を学ぶために文化輸入をした、ということは日本史を勉強した方なら誰でも知ってるのではないでしょうか。音楽も文化の中の一つとして輸入され、併せて楽器も輸入しました。13本の絃をもつ「箏」もこの文化輸入の際に日本に持ち込まれたものになります。併せて「琵琶」も「琴」もほぼ同時期に日本に入ってきました。ざっくりと奈良時代のお話ですね。

ここで簡単に箏と琴の楽器としての違いを説明してみます。

箏は絃に柱というブリッヂを立てて音階を作る楽器です。ボディと絃と、そしてブリッヂが必要ということになります。かなり簡素な絵ですがこういうことです。

今、基本的に「こと」と言われて想像するのがこの楽器です。

それに対し、琴というのはブリッヂを用いない楽器となります。こちらも簡素な絵ですがこういう事です。

原理という点では、大正琴などがこちらの部類に入ります。ただし大正琴自体は平安時代に使われていた琴とはまたルーツが変わってくるのですが…江戸時代に一絃琴、二絃琴という楽器が出来、そこから発展したものと思われます。奈良時代に伝わってきたものは七絃琴と言われてます。映画「レッドクリフ」で諸葛亮役の金城武さんが演奏されていた楽器が近い物になるのではないでしょうか。

七絃琴の画像を丸三ハシモト株式会社の橋本様より提供いただきました!ありがとうございます!

とにかくブリッヂを用いるかどうか、というところが大きな差異で、楽器としての性質も全然変わってしまうところになります。ブリッヂがあれば箏、なければ琴。

ところが。

日本には奈良時代に箏、琴が伝わるよりも前から琴があった、それを和琴(ワゴン)と呼びます。困ったことに和琴は「琴」と書くのに柱があるのです!

なんでや!ややこしい!

というわけで。

おそらく、昔から「箏」「琴」問題はややこしかったのではないかなと、そういう経緯から思っていたりします。そしてこれも推測でありますが、音楽を趣味や生業としていない人にとって箏か琴かというのは大した問題にならないのだろうなあと思っていたりもします。極端な例を示すとチューバとユーフォニアム、クラリネットとオーボエ、ヴァイオリンとヴィオラ、エレキギターとエレキベース、興味のない人にとっては同じものというか違いが話からなかったりするものですね。悲しいけどこれが主観の差。逆にスポーツに興味のない方にとってサッカーとフットサル、野球とソフトボール、ラグビーとアメフト、プロレスと総合格闘技の差がわからないというかどうでも良い方もいるかなと思います。

話がそれましたが、そんなわけでそもそも日本に箏と琴が入ってきた時点からややこしかったのでは、という様に思っておりまして、江戸時代の書物でも箏曲の曲集で「琴曲指譜」という名前のものがあったりします。同時代に「箏曲大意抄」と箏の字を使った書物もあるのですが、箏琴問題は今に始まったことではないのでしょう。

そして明治時代〜20世紀。明治時代に西洋の文化を輸入する過程で複雑な漢字を廃してアルファベットを使用して行こうというムーブメントがあったり、第二次世界大戦敗戦後にGHQ占領下の元、複雑な漢字を用いいない当用漢字が制定されました。この当用漢字に「琴」は入っているけど「箏」は入らなかった。ここがまさに現状の決定打になるのかなあと思っていたりもします。

当用漢字に入らなかったから、というよりは当用漢字を制定する際に「箏」は「琴」に統一してしまって構わないだろう、ということだったのだろうと思います。箏曲家の方々が政治的に影響力がなかったか、または琴にした方が和楽器業界として利点が感じられたのか、そういうことも加味して良かったことなのか悪かったことなのかを判断していきたいところですね。経緯は単純なものではなかったとは思います。

今回の話題から更に一歩踏み込んで、明治時代以降の公教育における和楽器の立場、というところのお話も関わってくるところだなと思いますが、こちらはまた別の話題として今回は横に置きます。

さて、「琴」が当用漢字になった以上、新聞等に載せられるのは「琴」の文字になり、学校で習うのも「琴」の文字になったので当然、商売として「箏」を売る方々も琴の文字を使わないと広告も宣伝もできないわけで、「福山琴」、そして自分で「アートにエールを!」でも取り上げた「東京琴」が「琴」の文字を使っております。

一方、演奏者側は多くの方が「箏」、「箏曲」という用語を使い続けました。箏曲の歴史、文化の積み重ねがあるわけでそこを大事にしてきている姿勢でもあると思います。

ここで言いたいのは「箏」「琴」の文字の使い方において和楽器販売業者が悪で演奏者が善ということではなく、立場が違う、という事です。新聞、電話帳など含め宣伝、販売をしなくてはならない立場なら「琴」しか使えないなら当然「琴」を使うわけです。逆に演奏者側は「琴」を使わなくても大丈夫だった、ということで、そのバランスを経ての現代があるのかと思います。

昔のワープロなどでは「琴」は変換できても「箏」は変換できなかったのですが、技術の進歩とともに文字も沢山用いれる様になった現在において「箏」は今はPC、スマフォなんでも変換できるようになりました。「箏」という文字は不遇な時もあったが乗り越えつつある、と評価することもできるのではないでしょうか。

さてさて、また源氏物語の引用をするのですが

「御前に御琴ども召す。兵部卿宮、琵琶。内大臣、和琴。箏の御琴、院の御前に参りて、 琴は、例の太政大臣に賜はりたまふ」

「御琴ども」は弦楽器としての意味で、「和琴」はワゴン、「箏の御琴」の「御琴」は弦楽器、そして最後の「琴は」はキンと呼む「琴」なのでしょう。「御琴(おこと)」で弦楽器としての意味のパターンと、単独で「琴(キン)」の意味のパターン。

平安時代以降、平安時代にあった「琴」は廃れてしまったようで、且つ「箏」の方はしっかり残り、シェアを広げていった、だからこそ楽器としての意味の「御琴」がそのまま「箏」を指すようになっていった、とも言えるかなと思います。見方によっては「琴」の字を乗っ取ったと。

各時代で箏と琴と使用感に変化があったのかなあと思います。目的によって箏と琴とどちらが利点があるか、というところにもなってくるかなと思います。結局、言葉は伝わらなければ意味のないものでもあって、現在であっても「琴」の字を使う必要がある場合もあります。

だからこそ、箏に興味のある方には経緯を知った上で「箏」と「琴」を適切に使用して欲しいし、少なくとも日本の音楽家及び音楽愛好家の皆様にはこの字の違いについて意識はして欲しいなと常々思っております。自国の音楽の事として。

主張を繰り返しますが、自分は結局は単純ではありますが「箏曲部」から「箏」を始めたので「箏」の字をわざわざ説明しなくてはならない現状は改善したいなと思っています。

そしてもう一つ、「琴」も楽器として魅力的です。その意味もあり「箏」と「琴」と、しっかり区別しておく方が良いと。自分自身もほんの少し、一絃琴を触ったことがありますが、箏と違う魅力がありますね。そして七絃琴も機会があれば触ってみたいところです。昔見たレッドクリフの影響ですが(笑)

さて、「箏」と「琴」については経緯が複雑なもので玉虫色の結論になってしまいますが、「琴」の字も間違いではなく、「琴」を使う方が効果が高い場合において「琴」を使うのも良いが、源流からの流れを意識し「箏」及び「箏曲」という概念を守っていくのが肝要、というところでしょうか。そして「箏」と「琴」が楽器として違うものである以上、音楽的な場においては「箏」という字をきっちり使用すべき、というように私は思ってます。

なんにせよ、ややこしいお話ですね。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。