老化について考える

ここ数年、老化について考える事があったのでその備忘録的な文章です。

時事的なお話としては東京オリンピックパラリンピック競技大会組織員会の会長について大きく世間が騒がれてます。

その騒動において「女性」「男性」「老人」などなどカデゴライズされた用語が多々用いられたように思いますが、そのようなカテゴライズされた用語を使うことについて脳機能の仕組みとしてお話された篠原菊紀さんのブログが面白かったです。

差別的な発言について: 「はげひげ」の脳的メモ

SNSの発達に伴い情報伝達速度が圧倒的に速まった2021年現在においては組織のトップの役割もだいぶ変わってきたというか変わらざるを得ないであろうなと感じてます。良くも悪くもマスメディア等を仲介する発信は情報が取捨選択もされてしまうわけで、例えば任天堂の社長であった故岩田聡氏はニンテンドーダイレクトという形でダイレクトに消費者に情報を届ける形をとりましたし、Appleの新製品発表なんかもApple共同代表という役職の故スティーブ・ジョブズ氏の発表なんかもインパクトの強いものでした。トップが会社の顔として直接情報発信する、というものですね。

公職としては千葉市長である熊谷俊人さんが現代的スピード感を感じさせるなと思ってます。Facebookでの情報発信、Twitterでの情報発信の巧みさとスピード感が現状において他の政治家より抜きん出ていると言って良いのではないかと思います。今回のオリンピック組織委員会の騒動についても大変にうまくまとめられておりました。

https://www.facebook.com/100001785530839/posts/3796117353791078/?d=n

熊谷千葉市長の文章においてイイな、と自分が思ったのはオリンピック・パラリンピック後についてのビジョンが明確に示されているところです。オリ・パラ後の国際舞台における人材育成を考えるとオリ・パラ後10〜20年は健在な方が会長を勤められるといいのだろうなあ、と、次代に経験を受け継ぐという観点から思ったりもしました。

いずれにせよ「組織内の女性の比率を増やす」というお話があれだけ拗れた事については組織として同じようなトラブルを今後起こさないよう改善が無くてはいけないですね。

そんなわけで前置きが長くなりましたが、老化についてここ数年思っている雑感です。

昨年、自分の父が風呂に入っている時に心不全で亡くなったのですが、父は熱いお湯に首まで浸かるのが好きでした。自分としては熱いお湯がそもそも苦手で、お風呂自体あまり長く入るのが好きではなかったのですが…

最近、子供をお風呂に入れてて子供を洗い終わりお風呂から出てもらった後に、湯船に首までゆったり熱いお湯につかるのが気持ちよくかったりします。首まで浸からないと暖かさを感じなくなったのですね。

これが老化か!

ちなみに今、私は40歳で、今年がいわゆる厄年というものになります。身体が変化してきているのでしょう。。。

老人は熱いお湯が好きなのではなく、お湯の温度を上げないと暖かく感じないし、首までつからないと暖かく感じない。感覚が鈍くなったので結果として熱いお湯に首まで浸かるようになったのではなかろうか、と推測しております。

奇しくも故野村克也氏も死因が父と同じなわけですが、感覚の鈍りが結果として熱いお湯に首まで浸かる行動を引き起こすし、それが時に死に至るというのは恐ろしくもあるし、現象としては面白くもあります。

音楽的なお話としても、昔は60BPM(1秒間に60回拍を刻む速さ)が遅く感じていたのですが、今は60が若干速く感じてます。感覚的には48BPMくらいでゆっくりかな、という具合でしょうか。また、有名な話ですが年々加齢とともに高音域が聴こえなくなっていきます。

当然好みにも影響が出てくるわけですが、若い子には自分と異なる好みがあり、自分の感覚による好みの押し付けは良くないな、というように思っております。もちろん技術的な事とは別に、ですね。若い子たちの作り上げたい音楽の方向性については意識せねば、と、ここ数年、高校の部活動指導で特に強く思います。

逆に自分が若い頃は業界的にご年配が多い世界に入ったもので、親よりも年上の方と合奏して色々感覚が違うのだなあと感じることも多くあったものです。本業の方、アマチュアの方などおりますが、過ごしてきた音楽歴も違うと色々と感性が微細に異なってくるのも面白いところです。

時間経過の感覚も年齢とともに変わる、なんてよく言われたりもしますね。ジャネの法則と言うものですが、5歳の子にとって1年は生涯の時間の1/5で50歳の人にとっては1/50なので体感速度が変わる、と言うものです。コレはわかり易いお話としてはよく出来てますが…感覚としてはそこまでの差ではないでしょう、と自分は思ってます。それよりも心拍数ですね。子供の頃は心拍数は速く、加齢とともに落ち着き、さらに老齢になるとまた少しづつ遅くなる。その差が身体の感覚とも関わっているのではないでしょうか。

60BPMが速く感じる、というのは60BPMの曲が退屈ではなく心地よく聴いてられるということでもあり、60に限らずゆったりした曲も気持ちよく聴けるなあという感覚が今はあるのですが、昔の自分はゆっくりなものが基本的に退屈だった、特に高校まではテンポの速いものをむしろ好んで聴いていたかと思います。その感覚と、身体的なパルス、心拍数は無関係ではないと考えております。

生物として未成熟なうちは新陳代謝が大きいためか心拍数も多く、危険も多いので感覚器も鋭敏なのが加齢とともにエネルギー温存のため代謝が減り心拍数が減り、感覚も鈍る。どんなにアンチエイジングに気をつけようが定めからは逃れられないだろうし、その変化を生存できた証としてむしろ積極的に受け入れていきたいですね。